仏教俳句歳時記(バックナンバー)

悠然として山を見る蛙かな 一 茶

 陶淵明に「悠然見南山(悠然として南山を見る)」という有名な詩句があります。これをもじって、じっと上の方を見ている蛙を表現したのでしょう。
 悠然と山を見ているような表情の蛙には、どこか仙人の風貌すら感じられます。蛙の気持ちになって世界を見ると、山や空はどう見えるのでしょう。
「かれ(蛙)はぽつかりと空を覗き見ながら、まだ青空であることに失望をかんじたかどうかは知らない。たゞかれが覗き見たとき広大なる地球には何の異変はなかつたが、既に遠い山々には雨脚がみだれてゐることを感じた。そのためか、蛙はしばらく水面で凝乎としてゐた。……片足を川骨の茎にしがみつかせたまゝ、かれは何事もない身の平安を感じてゐたらしかつた」(室生犀星「蛙」)
 小さな生物の目で物を見るのも面白いことです。
     

故郷やどちらを見ても山笑ふ 正岡子規

 「山笑ふ」は中国の漢詩集『臥遊録』にある「春山淡冶にして笑ふがごとし」から来た春の季語です。木々が芽吹きはじめる春の山は、全体的に淡い色合いとなり、おだやかに笑っているような表情が感じられます。俳句には他に秋の「山粧ふ」、冬の「山眠る」という季語があります。
 正岡子規は松山の出身なので、どちらを見ても山で、郷里に帰ると四方の山が優しく迎えてくれたことでしょう。
 日本は海と山に囲まれた国で、特に山奥は人跡を絶し、昔は狐狸妖怪の住む怖ろしい所であると同時に、先祖が神となって子孫を守ってくれる崇敬すべき所でした。
 だから昔の人が四季折々の山の姿に、人間的な表情を読み取ったのも当然といえるでしょう。      

良寛に鞠をつかせん日永かな 夏目漱石

 春先のぽかぽかする暖かい日、一日がゆっくりと過ぎていくような、そんな日は、鞠をつく良寛さんを眺めていたくなる。
つきてみよ ひふみよいむなや ここのとを 十とをさめてまた始まるを
 貞心尼が、自分で作った手まりと共に贈った歌に対して、良寛さんが返した歌です。
 「ひふみよ(一二三四)…」と鞠をついて、十とおさめてまた始める手まり遊び……日永それに興じて倦むことのない良寛さんのような童心に立ち返り、時間が立つのも忘れて遊びたいものだ、という願いが込められているようです。
この里に手毬つきつつ子供らと 遊ぶ春日は暮れずともよし  良寛      

あたゝかに冬の日なたの寒き哉 〔鬼 貫〕

 「あたたかに」と書き出して「寒き哉」で結ぶのは、初めと終りが反対ではないかと思われそうです。
 しかしこの矛盾していると見える所が、実は本当であるところに、冬の日の微妙な感じがうまく表現されています。
 冬の日向のあたたさは寒さと隣合わせで、春や秋の日なたとは違います。冬は寒い。でも寒いながらも日向のあるところは暖かい。とはいえ、暖かいといってもそれは日の当たっている所だけで、少しでも日陰に入ると寒く感じます。
 つまり矛盾しているのは言葉の方ではなく、寒暖が同居している冬の日にあるわけです。
 これは人生についてもいえることで、楽と苦、福と禍、生と死など相反するものが実は同居しているのです。      

日の光今朝や鰯のかしらより 蕪 村

 鰯のかしらは、大晦日の日、追儺の行事として柊に鰯の頭をつきさし門口に挿す習俗を意味するという。また、次のように解釈する説もあります。
「正月元旦の句である。古来難解の句と称されているが、この句のイメージが表象している出所は、明らかに大阪のいろは骨牌ガルタであると思う。東京のいろは骨牌では、イが『犬も歩けば棒にあたる』であるが、大阪の方では『鰯の頭も信心から』で、絵札には魚の骨から金色の後光がさし、人々のそれを拝んでいる様が描いてある。筆者の私も子供の時、大阪の親戚(旧家の商店)で見たのを記憶している。或る元日の朝、蕪村はその幼時の骨牌を追懐し、これを初日出のイメージに聯結させたのである」
(萩原朔太郎『郷愁の詩人 与謝蕪村』)
     

書記典主故園に遊ぶ冬至哉 蕪 村

 書記と典主(殿主・殿司とも書く)は、どちらも禅宗の役僧の名です。故園は、禅僧が修行していた僧堂のこと。冬至の日、一山の禅僧たちが、かつて三十棒を喫した道場に集まり、そのころを懐かしみ、一日を悠々と過ごす、という句意。
 禅の僧堂には修行僧を指導したり、禅院の運営を司る役僧がいて、書記は文書(書翰類)を司り、典主は仏殿の清掃・荘厳・香華・供物などを司る役です。
門前の小家も遊ぶ冬至かな 凡兆
とあるように、冬至の日は一般に商いなどの仕事を休んだので、寺院でも衆僧に一日の暇を与えるのを習わしとしていました。
 冬至は二十四節気の一つで、新暦十二月二十二日ごろをいう。この日、ゆず湯に入ったり、地方によりカボチャを食べる習慣があります。
     

堂塔の影を正して冬に入る 中川宗淵

 堂塔は仏堂や塔をいい、伽藍と併称して、寺院の建物全体を意味します。堂は堂宇ともいい、高く広い建物のこと。立派で威厳のある様子を「堂々」というのは、建物のお堂からきているわけです。
 堂塔はいつも閑静で荘厳な雰囲気がありますが、冬を迎えると、さらに冴え冴えとして身が引き締まる気持ちにさせてくれます。その凛乎とした様を、「影を正して」と形容したのでしょう。
「形直ければ影正し」姿勢を正しくすれば影も端正になるという意味ですが、「影を正す」というと、もっとキリッとしたものが感じられます。
また「信は荘厳より起こる」という言葉がありますが、寺社の荘厳が信仰心を高めるのと同じように、姿勢や居住まいを正しくすることが、心に張り合いや元気を与えてくれるのです。


     

行秋を踏張て居る仁王哉 夏目漱石

 行く秋は、暮の秋も同じで、秋の終りをいいますが、去り行く秋を見送る気持ちが込められています。その秋を、足を踏ん張っていかせまいとしているような仁王だという句意。
 ご存じのように仁王は、仏法守護の神さまで、山門の入口に建って、お寺を守ってくれます。昔から仁王さんの前で、「悪いことをすると仁王さんに怒られるぞ……」と言って、子どもをしつける習慣がありました。小さな子は今でも恐くて泣き出すことでしょう。
 それほど強く恐い仁王さまも、さすがに季節の移り変わりを止めることはできませんが、何事にも「ふんばる」ことが大切な場合があります。その「ふんばる」気持ちを、仁王に見習いたいものです。

     

月に柄をさしたらばよき団扇かな  宗 鑑

 山崎宗鑑は室町後期に俳諧連歌を創設した人として知られています。俳諧は元々滑稽という意味で、物事をあまり真面目に捉えず、皮肉や機智を面白おかしく表現した句が多いといえます。
 この句も、あの丸い月に柄をつけたら、いい団扇になるだろうなという、一種の駄洒落に過ぎませんが飄々とした味があります。
 宗鑑が、さる公家を訪ねた時のこと。公家は宗鑑に「歌のどんな上の句にでも付けることができる下の句がある」と言いました。宗鑑「それはどんな句で?」と聞くと、公家は自慢げに、たとえば
「田子の浦うちいでて見れば白妙の」とあれば、下に「といいし昔の偲ばるるかな」と付けるのだ、と。
 宗鑑は「私なら、別の句をつけますが」「それは?」
「それにつけても金の欲しさよ」

     

さゞれ蟹足はひのぼる清水哉  芭 蕉

 さざれ蟹は小さな蟹のことで「さざれ石」、「さざれ波」なども同じ使い方です。芭蕉が清水に足をひたしているとき、沢蟹が足に這い上がってくる様子を詠んだもの。
 「夏のことで熱する足を清水に浸すと頭まで瞭乎としてくる、いい気持ちだ。……そして気がつくと脛のところがむず痒い感じがする。なにげなく見ると一匹の小さい蟹がいつの間にか脛を這い上っている。彼は微笑みがひとりでに上ってくることを感じ、くすぐったい感じはするがすぐ払い落とす気にはなれぬ。この一場面の寂寞は天下の寂寞である、かき乱すことは彼の厭うところである」(室生犀星『芭蕉襍記』)
 このように一匹の小さな蟹に親しむ中にも、天下(宇宙)の寂寞に通じることがあるのです。

     

たえず人憩ふ夏野の石一つ 正岡子規

 夏の広々とした野原のなかに、遠くまで続く道があり、その道のほとりに一つの石がある。その石は人が座るのに適した大きさなので、旅する人がそこを通るたびに、ひとときの間、休んでいく。
 一人の旅人がそこを立ち去ると、まもなくして別の旅人が来てまた休んでいく。そうして人々が入れ替わり立ち替わり休んでいく、夏野の中の一つの石。それは今もあるなら、今も同じように人々の休憩処となっているに違いありません。石のよさは、いつも静かにそこにあり、飽きることがない所です。
 「石が寂しい姿と色とを持つてゐるから人間は好きになれるのだが、反対のものであつたら誰も石好きにならないであらう。その底を掻きさぐつて見たら石といふものは飽かないものであるからである」
(室生犀星「石について」)
     

蓮に乗る凡夫が夢や明易き 昨 非

 浄土教は、阿弥陀仏の浄土に往生する人は、蓮華座(蓮台)の上に身を托すると説きます。
 しかし浄土の蓮に乗ることを願っても、凡夫にとっては、明けるのが早い夏の夜の夢にすぎない、というもの。「明易し」は「短夜」と同じく、夜が短い夏をいう。仏教では無明長夜といって、凡夫の無明の夜は長く続き、なかなか覚めないのですが…。
 凡夫の夢は、たとえばこんなものです。
 酒が飯より好きというある人、夢の中に冷酒が出てきたので燗にしてもらおうと思い、妻を呼んだ。しかし、なかなか妻は来ない。
 そこで「おい、何をしてるんだ」と立ち上がった時に徳利を倒してしまい、酒が畳の上に流れ出した。
 それで目が覚めて、「ああ、惜しいことをした。こういうことなら、早く冷やで飲むんだった」
     

風に乗つて軽くのし行く燕かな  夏目漱石

 「軽くのし行く」という表現に、つばめが空にアイロンをかけて空気をスーッと伸ばしていくような趣が感じられます。「のす」は伸びる、のび広げるという意味で、しわをのばす、薄くのばすこと。燕が曲線を描いて軽やかに空を飛ぶさまが、うまく表されています。
 次も漱石の句です。
 思ふこと只一筋に燕かな
 ついでに、燕に関する俗信を紹介しましょう。
「燕が低く飛べば雨降る」
「燕が巣を作るとその家は繁盛する」
「燕の巣を取れば貧乏になる」
 では、「蝙蝠が燕を笑う」という諺の意味は?
 自分の欠点に気づかず、他人の似たような欠点を笑うこと。「目糞が鼻糞を笑う」と同じです。
     

一作善あらず春行く悔みかな 田中田士英

 今年は何か一つでも善いことをしようと年頭に誓ったのに、何も実行できずに春が終わろうとしている、という後悔を述べたもの。
「作善」は仏教語で、「心をこめて善根を積むこと。仏に供養し、僧に施し、像を立て、写経をするなど」(中村元『仏教語大辞典』)
 仏教では「止悪作善」といって、悪い行いをしない止悪と、積極的に善行をおこなう作善があります。それを簡潔に表した教えが次の「七仏通戒の偈」で、すべての仏教徒が守るべき教えです。
 諸悪莫作 もろもろの悪を作すこと莫れ
 衆善奉行 もろもろの善を行い
 自浄其意 自ら其の意を浄くせよ
 是諸仏教 是が諸仏の教えなり
     

春の夜はたれか初瀬の堂籠り 〔曾 良〕

 初瀬は、奈良県桜井市初瀬にある長谷寺(真言宗豊山派総本山)のこと。寺のお堂に籠って祈願し、また修行することを堂籠りといいます。
 次の芭蕉の句も、「初瀬」と前書きがあり、長谷寺に堂籠りする人を詠んでいます。
 春の夜や籠り人ゆかし堂の隅
 長谷寺は、西国三十三所観音霊場の第八番札所で、本尊は十一面観音。「長谷の観音は平安朝以来、特に恋に悩む女人の信仰を集めた」(大岡信『第三折々のうた』)とあり、このことからも、春の夜の初瀬の堂籠りは、信心深い女性がふさわしいと思われます。
 作者の河合曾良は蕉門の人で、「おくのほそ道」の旅など、芭蕉に随行して諸国を旅しています。
     

如月の花に乏しき法会かな  〔北 斎〕

 如月は、旧暦二月の異称で、衣更着とも書きます。衣更着は、余寒のために衣服を更に加える意味であるという説と、木や草の芽の発り出す月「草木初月」(賀茂真淵の説)という説があります。
 如月は春とはいえ、まだ月の半ばまでは肌寒い日も続き、咲く花の種類もそう多くはありません。その時節に行われる法会を「花に乏しき」と形容したわけです。
旧暦二月の代表的な法会には、修二会と涅槃会があります。
  きさらぎは梅咲くころは年ごとに
    われのこころのさびしかる月 若山牧水
 句の作者は浮世絵師として知られる葛飾北斎(一七六〇~一八四九)。
 人魂でゆく気散じや夏野原
は、辞世の句としてよく知られています。
     

あねいもと初観音へ手を結ぶ  〔西尾桃子〕

 観音さまのご縁日は毎月十八日です
(前日の十七日を縁日とする寺院もあります)。
 想像ですが、まだ幼い姉妹が観音様の前で手を合わせる姿を見て、お母さんが作った句という気がします。また姉妹ふたりが手を繋いで初観音に詣でる姿に、観音さまとの縁を結ぶ意味も含まれているのでしょう。
 夫婦・恋人同士・兄弟、何でもいいですが、ふたりが揃って神仏の前で合掌することは、神仏と心を交わせると同時に、ふたりの心を通い合わせることでもある、と言えそうです。
 実は観音さまが一番願っておられるのは、人と人の心が通い合うことなのでしょう。
 仲よき事は美しき哉    武者小路実篤