仏教俳句歳時記(バックナンバー)

花冷に阿修羅の三面眉根寄す 横山房子

 桜の咲くころでも急に冷え込んだりする日がありますが、それを花冷えといいます。その時期に奈良・興福寺の三面六臂の阿修羅像(国宝)を見ての感想を述べたものです。
 阿修羅は、インド神話では軍神で忿怒の相が多いわけですが、興福寺の阿修羅像には怒りの表情がありません。作家の堀辰雄はこの像を見た印象を、
「六本の腕を一ぱいに拡げながら、何処か遥かなところを、何かをこらえているような表情で、一心になって見入っている阿修羅王の前に立ち止まっていた。なんというういういしい、しかも切ない目ざしだろう」(「大和路・信濃路」)と書いています。
 確かに阿修羅の少し眉根を寄せた顔は、「何かをこらえているような、切ないまなざし」として、見る人を立ち止まらせるものがあります。

     

そのあとは子供の声や鬼やらひ 一 茶

 立春の前日は、冬の季節から春の季節への変わり目ということで節分と言いますが、その節分の日に、除災招福をする行事が節分会で、もと中国から伝わったものです。
 この日、煎った大豆を撒いて鬼を追い出し、厄払いをしますが、昔は「追儺」「鬼やらい」といい、毎年の大晦日に行われる宮中の年中行事でした。
 この豆撒きが後に民間に伝わり、各家ではその家の主人が年男となり、「福は内、鬼は外」と唱えながら豆を撒いてゆきます。すると、その後をうけて、また「ふくはーうちー、おにはーそとー」と、にぎやかに連呼するのが子供たち。
 子供たちの声のおかげで、夜の静かな中にも華やいだ気分が家中に満ち、鬼はこんな賑やかな家にいるのはうるさくてかなわんと出てしまいます。

     

目出度さもちう位なりおらが春  一 茶

『おらが春』の巻頭にある句で、前文に、
「浮き世の塵にうずもれて世を渡るのに汲々としている私らであるが、正月だからといって、めでたい文句を並べ立てるのも空々しく、空っ風が吹けば飛ぶようなわが家であるから、門松も立てず、煤払いもせず、今年の春もあなた任せに(仏の御心にまかせて)迎えるだけだ」とあり、めでたいといっても、それほどのこともない正月だ、という心境を述べたものです。「ちう(中)位」は、上中下の中くらいというよりも、細々とした暮らしに安んじる気持ちを表したものでしょう。
 またこの句をもじって正岡子規は、病臥の日々を送っている自身の正月を、
 めでたさも一茶位や雑煮餅
と詠んでいます。
     

ともかくもあなた任せの年の暮  一 茶

 俳文集『おらが春』の終りの句で、前文に次のようなことが書かれています。
「他力信心、他力信心と他力に力を入れて、それに頼ることばかりしていると、ついには他力縄に縛られて自力地獄の炎の中に墜ちてしまう。……では、どうしたら他力の流儀にかなうことになるだろうか。ただ、やれ自力だ、やれ他力だ、なんのかのいうより、後生の一大事は、その身を如来の御前に投げ出して、地獄なりとも極楽なりとも、あなた様の御はからい次第にあそばされてくださいと、お頼みするだけである……別に作り声して念仏する必要もなし、願わずとも仏は守ってくださる。これが当流に安心と申すことである」
「あなた任せ」とは、御仏のこころのままに、という意味です。
     

肌寒し己が毛を噛む木葉経 蕪 村

 「下総の檀林弘経寺という寺に、狸が書写した木の葉のお経があった。これを『狸書経』と云って、念仏門に大変珍重された」と作者自ら解説している。同寺(浄土宗)の縁起によれば、狸が僧に化けてこの寺にいたが、狸であることを見破られて、自ら死ぬとき、書き残したものがこの〈木の葉経〉で、住職の外、他見を許さずという。
 己が毛は狸の毛のことで、その毛を筆にして書写したというわけです。蕪村は三十代のころ関東の各地を遊歴し、結城の弘経寺のあたりに一時、寓居していたといわれます。また狐、狸の怪異変化が好きだったようで、
 秋のくれ仏に化る狸かな
 化さうな傘かす寺の時雨かな
などの句があります。
     

稲妻にさとらぬ人の貴さよ 芭 蕉

「ある智識ののたまはく、なま禅大疵の基とかや、いと難有さに」という前書きがあります。
 稲妻の光りを見て、この世のすべては、この電光のように儚いと感じて悟りを開く人がいるとしても、そんなものは一時の気の迷いに過ぎない。悟ってもいないのに悟ったかように勘違いする生禅は大けがのもとだ、と教えてくれた老僧の言葉は実に有り難いものだ。むしろ少しも悟りを得ないと自覚している方が尊いのだ、という句意でしょう。
 正岡子規の次の言葉に通じるものがあります。
 余は今まで禅宗のいわゆる悟りという事を誤解していた。悟りという事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思っていたのは間違いで、悟りという事は如何なる場合にも平気で生きている事であった」 (「病牀六尺」)悟りとは瞬間ではなく持続です。
     

月を待つ人皆ゆるく歩きをり 高浜虚子

 ある子供が月を見て、「あの月をつける電気のスイッチ、どこにあるの?」と聞いたそうです。人が電灯みたいに月の光りを点けていると思ったのです。月に人間が飛んで行く現代、もはや月の神秘さは失われてしまったようです。
 古代から洋の東西を問わず、月は人々を魅了し、詩心を強く捉えてきました。しかし詩人の萩原朔太郎は、「近代に於ける照明科学の進歩が、地上をあまりに明るくしすぎた為に……近代人は月に対して無関心になってしまった」(「月の詩情」)と書いています。そう書かれてからもう七十年以上も経っていますから、今の人はもっと無関心になっているかもしれません。しかし、秋の季節くらいは、ゆっくりと外を歩きながら月を待ちたいものです。
月を待つ情は人を待つ情 山口青邨
     

鳴神を心揺ぎて聴くもよし  相生垣瓜人

 「地震雷火事親父」とは昔からよくいわれてきた言葉で、「親父」の方はもうそんなに怖くはないが、雷は今でも地震の次に怖いものといえます。
 太古の人が雷を体験した時、余りの恐ろしさにそれを畏怖すべき神と考えたので、鳴神、神鳴というようになったわけです。ついでに、雷にまつわる俗説・俗信を紹介しましょう。
 「雷が臍を取る」 腹を出した子をおどかして戒めるのに言う。
 「雷が鳴るとき蚊帳の中にいると落雷しない」麻で作った蚊帳が電流不動体だからといわれる。
 「雷が鳴るとき桑原桑原と言うと落雷しない」
 これは雷が桑の木を嫌うからという説、また「桑原」は菅原道真の領地の名で、そこには一度も落雷がなかったので落雷を防ぐ呪文になったといわれます。
     

念力のゆるめば死ぬる大暑かな 村上鬼城

 大暑は二十四節気の一つで、新暦の七月二十三日ころ。一年で最も暑くなる時期です。この時節は念力が少しでもゆるむと死にそうなくらいなので、よほど気をつけねばならない、というもの。
 ところで念力の「念」はどういう意味でしょう。
 「念」は「心」の上に「今」という字があります。この「今」は「栓のある蓋の形」であると、漢字の成り立ちを説いた辞典(白川静著『字統』)に説明されています。そこから「念」は心に栓をしている形をあらわし、いつまでも思いつづけている状態を意味するのだそうです。ゆえに念力は、心を何か一つのことに集中することにより湧いてくる力であり、だから「思う念力岩をも通す」わけです。
 もっとも熱中症対策には、念力よりも十分に水分を取るなど、体調管理が大切ですが…。
     

も草もしづかにて梅雨はじまりぬ 日野草城

 草木も花を収めて雨に潤う時節です。梅雨はときには長雨となり、終日終夜降りつづくことがあります。自然の運行なのですが、人は自分の都合で、天気が良いとか悪いとか言います。天帝の気持ちはさておき、多くは自分に合わせて可否を論じます。
 日和下駄を商う長男の商売を案じて今日の雨を憂い、傘屋の次男の商売を心配して日照りを恨む老母のたとえもあります。
 悪い方に受け止めて暮らすより、雨も日照りもどちらかの恵みと考えて暮らす方が、楽天的ながら無難といえましょう。(中略)
 遮莫、蕭々軒の雨もやがては止むはずです。そしたら境内の草取りと己が雑念を払わなくてはなりません。(文:遠藤長悦老師)
     

悠然として山を見る蛙かな 一 茶

 陶淵明に「悠然見南山(悠然として南山を見る)」という有名な詩句があります。これをもじって、じっと上の方を見ている蛙を表現したのでしょう。
 悠然と山を見ているような表情の蛙には、どこか仙人の風貌すら感じられます。蛙の気持ちになって世界を見ると、山や空はどう見えるのでしょう。
「かれ(蛙)はぽつかりと空を覗き見ながら、まだ青空であることに失望をかんじたかどうかは知らない。たゞかれが覗き見たとき広大なる地球には何の異変はなかつたが、既に遠い山々には雨脚がみだれてゐることを感じた。そのためか、蛙はしばらく水面で凝乎としてゐた。……片足を川骨の茎にしがみつかせたまゝ、かれは何事もない身の平安を感じてゐたらしかつた」(室生犀星「蛙」)
 小さな生物の目で物を見るのも面白いことです。
     

故郷やどちらを見ても山笑ふ 正岡子規

 「山笑ふ」は中国の漢詩集『臥遊録』にある「春山淡冶にして笑ふがごとし」から来た春の季語です。木々が芽吹きはじめる春の山は、全体的に淡い色合いとなり、おだやかに笑っているような表情が感じられます。俳句には他に秋の「山粧ふ」、冬の「山眠る」という季語があります。
 正岡子規は松山の出身なので、どちらを見ても山で、郷里に帰ると四方の山が優しく迎えてくれたことでしょう。
 日本は海と山に囲まれた国で、特に山奥は人跡を絶し、昔は狐狸妖怪の住む怖ろしい所であると同時に、先祖が神となって子孫を守ってくれる崇敬すべき所でした。
 だから昔の人が四季折々の山の姿に、人間的な表情を読み取ったのも当然といえるでしょう。      

良寛に鞠をつかせん日永かな 夏目漱石

 春先のぽかぽかする暖かい日、一日がゆっくりと過ぎていくような、そんな日は、鞠をつく良寛さんを眺めていたくなる。
つきてみよ ひふみよいむなや ここのとを 十とをさめてまた始まるを
 貞心尼が、自分で作った手まりと共に贈った歌に対して、良寛さんが返した歌です。
 「ひふみよ(一二三四)…」と鞠をついて、十とおさめてまた始める手まり遊び……日永それに興じて倦むことのない良寛さんのような童心に立ち返り、時間が立つのも忘れて遊びたいものだ、という願いが込められているようです。
この里に手毬つきつつ子供らと 遊ぶ春日は暮れずともよし  良寛      

あたゝかに冬の日なたの寒き哉 〔鬼 貫〕

 「あたたかに」と書き出して「寒き哉」で結ぶのは、初めと終りが反対ではないかと思われそうです。
 しかしこの矛盾していると見える所が、実は本当であるところに、冬の日の微妙な感じがうまく表現されています。
 冬の日向のあたたさは寒さと隣合わせで、春や秋の日なたとは違います。冬は寒い。でも寒いながらも日向のあるところは暖かい。とはいえ、暖かいといってもそれは日の当たっている所だけで、少しでも日陰に入ると寒く感じます。
 つまり矛盾しているのは言葉の方ではなく、寒暖が同居している冬の日にあるわけです。
 これは人生についてもいえることで、楽と苦、福と禍、生と死など相反するものが実は同居しているのです。      

日の光今朝や鰯のかしらより 蕪 村

 鰯のかしらは、大晦日の日、追儺の行事として柊に鰯の頭をつきさし門口に挿す習俗を意味するという。また、次のように解釈する説もあります。
「正月元旦の句である。古来難解の句と称されているが、この句のイメージが表象している出所は、明らかに大阪のいろは骨牌ガルタであると思う。東京のいろは骨牌では、イが『犬も歩けば棒にあたる』であるが、大阪の方では『鰯の頭も信心から』で、絵札には魚の骨から金色の後光がさし、人々のそれを拝んでいる様が描いてある。筆者の私も子供の時、大阪の親戚(旧家の商店)で見たのを記憶している。或る元日の朝、蕪村はその幼時の骨牌を追懐し、これを初日出のイメージに聯結させたのである」
(萩原朔太郎『郷愁の詩人 与謝蕪村』)