仏教俳句歳時記(バックナンバー)

樹も草もしづかにて梅雨はじまりぬ 〔日野草城〕

 草木も花を収めて雨に潤う時節です。梅雨はときには長雨となり、終日終夜降りつづくことがあります。自然の運行なのですが、人は自分の都合で、天気が良いとか悪いとか言います。天帝の気持ちはさておき、多くは自分に合わせて可否を論じます。
 日和(ひより)下駄を商う長男の商売を案じて今日の雨を憂い、傘屋の次男の商売を心配して日照りを恨む老母のたとえもあります。
 悪い方に受け止めて暮らすより、雨も日照りもどちらかの恵みと考えて暮らす方が、楽天的ながら無難といえましょう。(中略)
 遮莫(さもあればあれ)、蕭々軒の雨もやがては止むはずです。そしたら境内の草取りと己が雑念を払わなくてはなりません。(文:遠藤長悦老師)      

いうぜんとして山を見るかはずかな 〔一 茶〕

 陶淵明(とうえんめい)に「悠然見南山(悠然として南山を見る)」という有名な詩句があります。これをもじって、じっと上の方を見ている蛙を表現したのでしょう。
 悠然と山を見ているような表情の蛙には、どこか仙人の風貌すら感じられます。蛙の気持ちになって世界を見ると、山や空はどう見えるのでしょう。
 「かれ(蛙)はぽつかりと空を覗き見ながら、まだ青空であることに失望をかんじたかどうかは知らない。たゞかれが覗き見たとき広大なる地球には何の異変はなかつたが、既に遠い山々には雨脚がみだれてゐることを感じた。そのためか、蛙はしばらく水面で凝乎(じっ)としてゐた。……片足を川骨の茎にしがみつかせたまゝ、かれは何事もない身の平安を感じてゐたらしかつた」(室生犀星「蛙」)
 小さな生物の目で、物を見るのも面白いことです。      

花よりも鼻に在りける匂ひ哉 〔守 武〕

 花には香りがあるといっても、それは結局、鼻で嗅ぐから匂うのだという意味ですが、おわかりのように、「花」と「鼻」を洒落て言ったところに面白さがあります。
 仏教では、感覚や意識を生じる働きを、眼・耳・鼻・舌・身・意の六つに分け、六根(ろっこん)といいます。またその六つの器官のそれぞれの対象となるものを、色・声・香・味・触・法に分け、六境(ろっきょう)といいます。
 六根の「鼻」が、六境の「香」を認識するから、花は匂うのですが、また六境(外界の対象物)はしばしば心を惑わし、欲望をつのらせたりするので、六塵(ろくじん)ともいわれます。
 仏教は、心や精神的な働きこそ本質的なものと考えますから、鼻のはたらきがなければ花の香りもないというのは当たり前といえるでしょう。      

仏生会をさなき顔はみな仏 〔山本輝明〕

 四月八日はお釈迦さまの誕生を祝う日で、灌仏会・仏生会・降誕会・花祭りなど、さまざまな名称で呼ばれています。
 今から2500年ほど前、お釈迦さまはインドの(今はネパール)ヒマラヤのふもと、カピラ城というお城近くのルンビニーの花園でお生まれになりました。生まれたばかりのお釈迦さまは、すぐに七歩歩かれ、右手で天をさし、左手で地をさして「天上天下唯我独尊」(この宇宙の中で唯だ我れ独り尊い)と声高らかに宣言されたといいます。
 しかしこれは何も仏さまだけでなく、生まれたばかりの赤ちゃんは、「オギャー」という泣き声で「唯我独尊」を主張しているのではありませんか。そして幼い子たちは皆、仏さまの性質(仏性)を汚さずにいるから、かわいいのです。      

あたゝかに冬の日なたの寒き哉 〔鬼 貫〕

 「あたたかに」と書き出して「寒き哉」で結ぶのは、初めと終りが反対ではないかと思われそうです。
 しかしこの矛盾していると見える所が、実は本当であるところに、冬の日の微妙な感じがうまく表現されています。
 冬の日向のあたたさは寒さと隣合わせで、春や秋の日なたとは違います。冬は寒い。でも寒いながらも日向のあるところは暖かい。とはいえ、暖かいといってもそれは日の当たっている所だけで、少しでも日陰に入ると寒く感じます。
 つまり矛盾しているのは言葉の方ではなく、寒暖が同居している冬の日にあるわけです。
 これは人生についてもいえることで、楽と苦、福と禍、生と死など相反するものが実は同居しているのです。      

そのあとは子供の声や鬼やらひ 〔一 茶〕

 立春の前日は、冬の季節から春の季節への変わり目ということで節分と言いますが、その節分の日に、除災招福をする行事が節分会で、もと中国から伝わったものです。
 この日、煎った大豆を撒いて鬼を追い出し、厄払いをしますが、昔は「追儺」「鬼やらい」といい、毎年の大晦日に行われる宮中の年中行事でした。
 この豆撒きが後に民間に伝わり、各家ではその家の主人が年男となり、「福は内、鬼は外」と唱えながら豆を撒いてゆきます。すると、その後をうけて、また「ふくはーうちー、おにはーそとー」と、にぎやかに連呼するのが子供たち。
 子供たちの声のおかげで、夜の静かな中にも華やいだ気分が家中に満ち、鬼はこんな賑やかな家にいるのはうるさくてかなわんと出てしまいます。      

おんきょうに似てゆかしさよふるごよみ 〔蕪 村〕

 年の瀬が押し迫り、今年もあと幾日もなくなり、暦も古びたものになった。一年365日、毎日のように繰り返し見てきて、ずいぶん暦の世話になったものだ。それを思うと、尊いお経の教えにも似て、慕わしく有り難いものだ……。
 また昔の暦は、伊勢暦といわれる折り本の暦が多く、体裁はお経本に似ていたのです。
 日本人は世界でもとくに暦が好きな民族だと言われています。
 『現代こよみ読み解き事典』によれば、「江戸時代においても、幕末には450万部は刷られていた」とあり、「この現象は日本人の自然や四季の移ろいに対するある種の感情に根付いたものというか、『昨日は今日に非ず』といった人生観、この世に対する考え方に裏打ちされたもの」という。
 ともかく、暦には日本人の知恵が詰まっています。      

たくわへしひげ百日の寒行僧 〔横井博行〕

 日蓮宗の百日の荒行は次のようなものです。
 「日蓮宗の僧侶で正式に『加持祈祷(かじきとう)』ができるのは、千葉県市川市の中山法華経寺内にある日蓮宗大荒行堂(加行所)の修行を、無事につとめ終えた修法師(しゅほっし)だけとされています。荒行の期間は、十一月一日の入行より、年が明けた二月の十日の出行まで、厳寒の百日間です。朝は午前二時五十分に起床、三時に一番水をかぶり、水行はそれから六時・九時・正午・午後三時・六時・十一時の計七回あり、それぞれ七杯の水をかぶります。寒に入ると氷を砕いての水行となります。あとはお経を読む読経三昧の修行です。食事は早朝五時半と夕方五時半の二回だけ。それも箸も立たず顔が写るようなお粥とミソ汁の、いわゆる一汁一菜の粗末なもの。睡眠は一日三時間にも足りません……」(星 光喩 『常に悲感を懐いて』)      

稚子をさなごの寺なつかしむいてふかな 〔蕪 村〕

  銀杏の葉が、黄金のような美しい色に黄ばんで、お寺の境内いっぱいに散り敷くと、境内の広さと、しっとりと銀杏の敷かれた明るい色調にひかれて、村の子供たちが遊びにやって来ます。
 境内を遊び場にして、銀杏の実を落としたり、葉を拾ったりしてあそんでいる様子を見ると、子たちは自然に寺に親しみ、よくなついていることがわかる。それが「寺なつかしむ」の意味なのでしょう。
 秋も深まり、晴れた日ざしに銀杏の黄が生えて、子供たちがお寺に親しむさまに、ホカホカした潤いが感じられます。
 この時期、寺の方は落ち葉を掃くのに毎日大変なわけですが……。      

今朝秋や見入る鏡に親の顔 〔村上鬼城〕

 秋の立つ日、何気なく鏡を見ると、すでに髪に白いものが多くまじり、額の皺も少し増えて、もう年老いた顔だ。やがてその顔は、自分が子どもの時に見馴れていた父親の顔に似ていることに気づく。それでしばらくの間、じっと鏡に見入っていた、というものです。
 さて、こんな笑い話があります。
 鏡のない国から都に出てきたある男が、小間物屋の前を通りかかると、何やら丸くて光るものがある。気になってのぞきこむと、びっくりぎょうてん。
「おお、これは親父さまじゃねえか。こんなところで会えるとは…」
 そして鏡の前で「親父さま」と何度も呼びかけるが、返事がない。男は思いました。
「無理もないわい、娑婆と冥土ではあんまり隔たりがあるんで、聞こえないんじゃろう」      

年とらぬひとを迎ふる門火かな 〔手塚美佐〕

 たしかに人は亡くなると、もう年を取ることがありません。年を取らなくなった人のことを想いながら、想う人間の方は年を取っていく。そこに、生者と死者の関わりの不思議さがあります。
 私たちは、もう年を取らない人を想うとき、その人を遠くに感じるか、それとも身近に感じるでしょうか。
 詩人の谷川俊太郎さんはこう書いています。
「武満徹命日。……会ったり話したり出来なくなってから、余計武満を身近に感じる。それで思ったのは人は死ぬと暇になるということだ。この世にいる人間は大体において忙しいから、相手をしてほしいと思ってもこっちに遠慮があるが、あの世にいる人間はこの世のあわただしさに煩わされないので、こっちはいくらでも好きなだけ相手をしてもらえる」 (『ひとり暮らし』)      

唐音の施餓鬼身にしむ夕かな 〔百里〕

 お盆での棚経が先祖などの有縁の精霊を供養するのに対して、施餓鬼(施食)は無縁の精霊に飲み物や食べ物を供えて、その霊をなぐさめるというものです。お盆に帰ってくるのは、何も子孫のある霊だけではありません。だから、昔は無縁さんのために無縁棚を作って供養する家も多かったのです。
 寺院でのお盆の施餓鬼会(施食会)は、本堂に施餓鬼幡を垂らして荘厳し、檀信徒が集まります。
 「七日盆から祀ってある施餓鬼棚には位牌の前に大椀飯を盛り、これにめし旗(色紙を小さく切り竹にはさむ)を幾本もさして供物とし、畑物、菓子等をも供えて準備する。お昼頃から新亡の家はお寺へ詣り、一般村民もまた参詣する……本堂に向って僧侶の読経が終り、次に施餓鬼棚に向って新亡のお経を上げ、施餓鬼をする」(竹林史博『施餓鬼』)    

沙羅の花捨身の落花惜しみなし 〔石田波郷〕

 日本の沙羅の花は、ツバキ科の落葉高樹で、六月から七月にかけて咲く白い花。椿に似ており、正式な植物名は「夏椿」といい、インドの沙羅樹に咲く花とは別の種類です。
 木肌は赤くつるつるしているので、インドの沙羅樹と混同して、「沙羅」の名がついたようです。
 インドの沙羅樹はフタバガキ科で、日本では草津市水生植物園の温室で初めて開花して話題になりました。
 沙羅の花は、お釈迦さまの涅槃の沙羅双樹と重ね合わせられてきたこともあって、人はその散るさまに、惜しみない生命の輝きを見るのでしょう。
 「捨身」は他の生き物を救うため、また仏に供養するためにわが身を捨てる(投身する)こと。捨身の落花は、入涅槃の釈尊への惜しみない供養です。    

一鉄鉢一袈裟行李安居かな 〔喜谷六花〕

 安居は、僧侶が一所にこもって外出せず、ひたすら坐禅や講経に専念すること。特に禅宗で重んじ、夏安居(雨安居とも)は旧暦四月十六日から七月十五日までの三ヶ月で、この間を一夏といいます。
「一鉄鉢」は僧侶の食器のことで応量器ともいい、僧の持ち物の中でも最も大切なもの。
 禅宗では師僧から弟子に仏法を伝えることを、衣鉢を伝える(嗣ぐともいう)といいますが、仏法・仏道を、袈裟と鉄鉢の二つで象徴的に表しているのです。
「一袈裟行李」は禅僧が行脚する時、袈裟などを入れて持ち歩くもので、この「一鉄鉢、一袈裟行李」のみで安居が始まるわけです。
「只心を世事に執着すること莫れ。一向に道を学すべきなり。仏の言く、衣鉢の外は寸分も貯へざれ」 (正法眼蔵随聞記)    

陽炎や寺へ行かれし杖の穴 〔一茶〕

 よい時候を迎え、野辺に幽かに陽炎も立っている。前の日雨が降ったのか、少し湿った道にポツリポツリと杖の跡がついているのが見えた。気まぐれに杖の跡はどこへ続いているのかと、たどってみると、寺の方へ向っている。
「ははあ、だれか寺詣りに行かれたな」と推測し、面白がっている様子が伺えます。
杖の跡だけで誰かがお寺に行ったとわかる、というところに、静かでのどかな春の雰囲気が表現されています。 

春風や杖の力をおぼえたる 〔田中蛇湖〕

老人にとって杖は、それこそ「転ばぬ先の」で、ぬかるみの道にも、風の強い日にも欠かせぬ友となります。    

二三文銭も景色や花御堂 〔一茶〕

 四月八日の灌仏会では、各寺院で花御堂を飾り、参詣の人に甘茶を配ります。また花御堂の中には甘茶の盥があり、その中に小さな釈迦像が立っています。
 参詣の人は、花御堂の前に立ち、賽銭をして桶の中の甘茶を小さな杓で掬い、お釈迦様の頭に降りかける、そうして代わる代わる甘茶を浴びせるので、釈迦像の黒い御体は次第に艶やかになり、光り輝いてきます。
 花御堂の中の桶の底に沈んだ二三枚の銭も、花びらか何かのようによく見えてくる。お金さえも一つの「景色」となって法会を荘厳するというわけです。
「仏の生れたということが主となって、その清浄な考えが大きいので金銭というようなものを景色に譬えているのである」(零余子講述『俳句の解し方』)    

春めくといふ言の葉をくりかへし 〔阿部みどり女〕

「何となく春めいてきたわね」
「めっきり春めいてきました」
「春めく」という言葉を繰り返すだけで、春らしい気分になります。
 時候の挨拶は、その日その日の気候に対する心持ちを、お互いに共有することですね。また口にするとその気持ちがより強まります。  

言ふまいと思へどけふの暑さかな

 反対に夏の暑い日、つい「暑いな」、「この今日さは、たまらんな」などというと、ほんとに暑くなってきます。
「春めく」は、心が陽気になってくるように働きかけてくれることば、そういう言葉を心掛けたいものです。
 仏教では言葉の大切さを、十善戒で「不悪口」「不綺語」「不妄語」「不両舌」と戒めています。    

蓄へしひげ百日の寒行僧 〔横井博行〕

 日蓮宗の百日の荒行は次のようなものです。
 日蓮宗の僧侶で正式に『加持祈祷』ができるのは、千葉県市川市の中山法華経寺内にある 日蓮宗大荒行堂(加行所)の修行を、無事につとめ終えた修法師だけとされています。
 荒行の期間は、十一月一日の入行より、年が明けた二月の十日の出行まで、厳寒の百日間です。
 朝は午前二時五十分に起床、三時に一番水をかぶり、水行はそれから六時・九時・正午・午後 三時・六時・十一時の計七回あり、それぞれ七杯の水をかぶります。寒に入ると氷を砕いての 水行となります。
 あとはお経を読む読経三昧の修行です。食事は早朝五時半と夕方五時半の二回だけ。それも箸 も立たず顔が写るようなお粥とミソ汁の、いわゆる一汁一菜の粗末なもの。睡眠は一日三時間 にも足りません……」
(星 光喩『常に悲感を懐いて』)    

灰の静か鍋の静かや福沸し 〔松根東洋城〕

 元日の朝、はじめて汲む水を若水といい、この若水を汲んで湯をわかすことを「福沸し」といい、それに使う鍋を「福鍋」といいます。
 また、神仏に供えた餅を、正月四日などに下げて雑煮や粥にすることも福沸しといいます。
 江戸時代、正月三日に上野の護国院で、大黒天の尊前に供える餅を湯にひたし、その湯を参詣の人に配るという行事があり、これを大黒湯(御福の湯)といい、福智を得るというので大変賑わいました。
 今はほとんど水道の水を使っていますから、若水という感覚が失せてしまいましたが、たとえ水道の水であっても、元日の朝に湯を沸かすときくらいは、「福沸し」ということばを使ってみたいものです。

福鍋に耳かたむくる心かな 〔飯田蛇笏〕

   

居士大姉臘八粥の湯気の中 〔小坂順子〕

 十二月八日は、お釈迦様が明星の出る時、はじめて無上の悟りを開かれた日にあたります。 禅宗寺院では、十二月一日から八日の朝まで、釈尊の苦行を偲んで昼夜を通して坐禅し、これを臘八摂心といいます。
 中国で旧暦の十二月を臘月と呼ぶことから、その八日を臘八といい、大寺では五味粥をつくり、これを臘八粥とも温糟粥ともいいます。 寒気のきびしい時節なので、午夜を過ぎて温かい粥を出すのです。
 お釈迦様は、菩提樹の下に禅定して悟りを開く前、河の水で身を清めた後、村の娘が供養してくれた乳粥を飲み、それで元気を回復されたということですが、 臘八粥はこの乳粥に通じるものがあると思われます。    

物の音ひとり倒るゝ案山子かな 〔凡兆〕

 何もしないのに、突然物音がした。なにごとかと思って辺りを見回すと、案山子がひとりで倒れたのだった。秋の風も吹かない野に、案山子がひとり倒れたというので、一層、さびしく静かな様子が伝わってきます。
 前置きに「一鳥不鳴山更幽(一鳥鳴かずして山更に幽かなり)」という漢詩があり、一羽の鳥も鳴かないで、山がひっそりとしている情景です。別に「鳥鳴山更幽(鳥鳴いて山更に幽なり)」という詩もあります。
 家の中にいても、夜中に皆が寝静まった後、何もしないのに物が倒れたりすることはないでしょうか。そんな時、夜の静けさが余計に感じられます。    

野ざらしを心に風のしむ身かな 〔芭蕉〕

 松尾芭蕉が四十一歳の時、郷里の伊賀上野への旅立ちに際して詠んだ句で、秋のそぞろ寒い日に、これからの旅の心を、途中倒れて白骨になることをも覚悟して、吟じたものです。
 元から病身であったため、いつ死ぬかもしれぬという無常観を常に懐き、旅姿は、茶色の道服を着て襟に頭陀袋をかけ、手には数珠を携えていました。
 芭蕉は、元禄元年(一六九四)、旅先の大坂で病気になり、十月十二日に逝去。その臨終に際して、門人から辞世の句を乞われた時、
「私の詠んだ句は、『古池や』の句の後は、どれもみな辞世のつもりである。だから今さら辞世の句などはない」
と言ったということです。
最後の吟詠は、

旅に病んで夢は枯野をかけめぐる

これが事実上の辞世の句となります。    

説教の天竺の国暑きかな 〔百句拙〕

 僧が説教する話に、よく天竺が出てくるが、その国は大変暑いところなんだろうな、という感慨を述べたものです。
 天竺は、中国や日本が呼んでいたインドの旧名で、中国では唐の時代に一般的になり、仏教が中国に広まるにつれて 天竺の名も広まったようです。
 天竺は元々、天空を意味する言葉です。それでこんな話があります。
 ある僧侶がお釈迦様ゆかりのインドに旅行に行くと聞いた老婆、
「天竺へはどこからお昇りなさるのじゃ」
と涙ながら案じて尋ねました。
僧が「いや、そんなに心配しなくていい、決して危ない所ではない」
と答えますと、
「それでも高いところじゃによって、お天道に近いから暑いに違いなかろう」    

蓮に乗る凡夫が夢や明易き 〔昨非〕

 浄土教は、阿弥陀仏の浄土に往生する人は、蓮華座(蓮台)の上に身を托すると説きます。
 しかし浄土の蓮に乗ることを願っても、凡夫にとっては、明けるのが早い夏の夜の夢にすぎない、というもの。「明易し」は「短夜」と同じく、夜が短い夏をいう。仏教では無明長夜といって、凡夫の無明の夜は長く続き、なかなか覚めないのですが…。
 凡夫の夢は、たとえばこんなものです。
 酒が飯より好きというある人、夢の中に冷酒が出てきたので燗にしてもらおうと思い、妻を呼んだ。しかし、なかなか妻は来ない。
 そこで「おい、何をしてるんだ」と立ち上がった時に徳利を倒してしまい、酒が畳の上に流れ出した。
 それで目が覚めて、「ああ、惜しいことをした。こういうことなら、早く冷やで飲むんだった」