泉光院の旅 二百年前の諸国修行行脚

価格(税込)
4,180

編著
望月嶺男(著)
体裁
四六判ワイド、上製、343頁
ISBN
9784-88414-205-6
発行日
2019年2月

本書について

日向の国に秋風の立つ文化九年(1812)九月、佐土原藩に仕える修験僧で大峯入峯三十六度、奥駆修行十三度の大先達野田泉光院成亮は、日本九峯修行を発願して従者の平四郎と共に六年余に及ぶ諸国行脚に旅立った…。
当時の修験僧の在り様と辺地庶民のリアルな生活を伝える克明な旅日記に編者の懇切な解説を付!

野田泉光院成亮とは誰か?

 野田泉光院成亮は、日向佐土原に藩庁を置く佐土原藩(薩摩支藩)お抱えの安宮寺に住持する大峯入峯三十六度・奥駈十三度の大先達であった。しかも楊柳軒一葉と号す俳人にして茶道や立花にも堪能な文化人、加えて武道は天流の柔術と棒術を修め、弓道は師範の免許を以て藩内の子弟に教授するというマルチプルな修験僧である。往昔の僧侶や山伏が仏道修行の他に様々な学問や技芸に秀でた知識人であり、多才多芸の持ち主であったことは往々にして見られるところだが、俳句や茶道はともかく、棒術や弓道の免許皆伝というあたりに、藩禄給付の修験らしさが窺える。
 とはいえ遺された肖像画に見る泉光院の風貌は、魁偉というよりは小柄で柔和な、画幅に添えられた賛『手裡仁風春色鮮 乾坤獨坐如々體』を彷彿とさせる、穏やかな悟りの境地に達した正真の行者を想わせるものがある。 
 その泉光院が、五十七歳になる文化九(1812)年九月より六年余にわたり諸国を行脚し、道中の出来事を克明に記した『日本九峯修行日記』には、随所に二百年前の勝れた修験がどのような法を修め、如何なる加持祈祷を行っていたか、そして辺地庶民の日常生活において仏教がどのように取り入れられていたのか…といった事柄が具さに報告されている。その貴重な日記を丁寧に読み込
んだ編者が読者の便に配慮して読みやすく編集し、自在なコメントを付記して刊行したのが本書『泉光院の旅』である。興趣
満載の行脚にぜひご随行下さい。
*今回は日向から周防までの  十七ヶ月分の日記を掲載。

『日本九峯修行日記』への評価

《仏教民俗学の泰斗・五来重氏》
日向佐土原の修験、野田泉光院成亮の『日本九峯修行日記』の跡を追う作業も、しなければならないとおもう。
《歩く民俗学者・宮本常一氏》
泉光院の歩いた道すじを地図で辿ってみると、街道筋はほとんど歩いていない、街道からわかれた田舎道や僻地を歩き続けたのである。どうしてこんなところを歩いたのだろう?というようなところを通っている。この日記は他に比肩を見ないほど重要な資料である。日本各地の農村をつぶさにまわって無数の人びとに接し、その中に生きて来た記録だからである。

旅のエピソードのほんの一部を紹介。

【苛烈なる不動行者】
八代領内に篤信の不動行者と知られる当山流の修験者あり。
法式の事で領主に願書差上げるも、邪心の家老その願書を手元に留め置き、幾度申上げても領主へ通ぜず。
因って行者立腹し、本尊不動へ祈誓を掛け、願い事成就さえ致せば、吾れは一命を捨てても苦しからずと即時切腹し、腹綿を皆な本尊の体へ塗付けて天をうらみて死せり。
その後、願書を留め置きたる家老の宅に火災起り、重宝の品皆々焼失し、それより引続き七難起こりてその身も過ちを犯し、家督断絶に及べり。文化年中まで凡そ八十年ばかり前の事なり。因って今に八代領内に於ては山伏を殊に大切にすることなりと。

【長崎逗留】(肥前長崎領にて)
日は西海に沈み雨は頻りに降り、何れへ行くべくもなく茫然たる所、年齢四十ばかりの大男立寄り、各々方は何れの国の人ぞ、見れば老僧さぞ難儀ならん、麁宅ながら吾々方へ今夜宿参らせんと云う。地獄で地蔵に逢いしとは此の事かとこの方へ行く。名は熊次郎と云う親子三人の宅なり。
*―この熊次郎とは唐船の荷揚げ人足を生業とする者で、泉光院を殊更慕い、又泉光院も余程彼が気に入ったのか、十二月十日から翌年の四月二十日迄の間、永永と逗留する。
おかげで読者は、二百年前の長崎の様々な習俗や、人々の活き活きとした暮らしぶりに、親しく接する事ができるのである。