仏教俳句歳時記(バックナンバー)

稚子の寺なつかしむいてふかな 蕪 村

 銀杏の葉が、黄金のような美しい色に黄ばんで、お寺の境内いっぱいに散り敷くと、境内の広さと、しっとりと銀杏の敷かれた明るい色調にひかれて、村の子供達が遊びにやって来ます。
境内を遊び場にして、銀杏の実を落としたり、葉を拾ったりしてあそんでいる様子を見ると、子たちは自然に寺に親しみ、よくなついていることがわかる。それが「寺なつかしむ」の意味なのでしょう。
 秋も深まり、晴れた日ざしに銀杏の黄が生えて、子供達がお寺に親しむさまに、ほかほかした潤いが感じられます。
 この時期、寺の方は落ち葉を掃くのに毎日大変なわけですが……。
いてふ踏でしづかに児の下山かな  蕪 村
おもしろや葉に柄をすけてちるいてう   同

     

野ざらしを心に風のしむ身かな 芭 蕉

 松尾芭蕉が四十一歳の時、郷里の伊賀上野への旅立ちに際して詠んだ句で、秋のそぞろ寒い日に、これからの旅の心を、途中倒れて白骨になることをも覚悟して、吟じたものです。
 元から病身であったため、いつ死ぬかもしれぬという無常観を常に懐き、旅姿は、茶色の道服を着て襟に頭陀袋をかけ、手には数珠を携えていました。
 芭蕉は、元禄元年(一六九四)、旅先の大坂で病気になり、十月十二日に逝去。
 その臨終に際して、門人から辞世の句を乞われた時、 「私の詠んだ句は、『古池や』の句の後は、どれもみな辞世のつもりである。だから今さら辞世の句などはない」と言ったということです。
 最後の吟詠は、
旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる
 これが事実上の辞世の句となります。
     

本堂を守る犬眠り秋暑し  坊城中子

残暑厳しき時分、毎日、本堂を守ってくれているはずの犬も暑さにへばって犬小屋で寝ている。
 ところで、お寺で犬を飼ってもよいかどうかは、経典に載っているのでしょうか。そんなことまでは載っていないのでは?
 いや、それがちゃんと書いてあるのです。
 宋の道誠という僧が一〇一九年に編纂した『釈氏要覧』(巻中)という、仏教の故実について書いた本に、こう書かれています。
「『薩波多律摂』〔巻四〕にいう。大寺内には、防守の為のゆえに、狗を養うことをゆるすと」
 というわけで、「本堂を守る犬」は居眠りさえしなければ、重宝されてきたのです。      

水桶に うなづきあふや 瓜茄子  蕪 村

「青飯法師にはじめて逢ひけるに旧識の如くかたり合て」という前書きがあります。
 ある時、蕪村は青飯法師とはじめて逢ったのに、すぐに心が通じ、旧知の人のように親しく話をした。
 それは、桶の水につかって浮いている瓜と茄子が仲よろしくうなずきあっているようなものだなあ、と面白く詠んだものです。
 俳諧集「五元集拾遺」に、
   ぬか味噌に年を語らむ瓜茄子
という句があり、こちらの方も面白い擬人化です。
 ご存じのように、お盆の精霊棚には、馬と牛を模して胡瓜と茄子を供える風習が日本の各地にあります。この句をもじっていえば、
   魂棚にうなづきあふや瓜茄子      

でゝむしや 雷の喝 雨の棒   荻原井泉水

重そうな甲羅を左右にゆらしながら、ゆっくりと進んでいくかたつむりは、まことに静かで、愚直に見えながら、着実な歩みを感じさせます。
 蝸牛 遂に登るや 竿の先
と詠まれた(作者不詳)ように、その弛みない歩みこそ、事を成し遂げる力となります。
 句はかたつむり(ででむし)の姿に、参禅する修行僧を連想して詠まれたもの。
 雲水は参禅の時、師匠から喝を食らわせられたり、三十棒といって、警策で烈しく打たれたりして指導されます。ででむしも雷の喝を浴びせられたり、激しい雨の棒をもって打たれたりしながら、それを物ともせず、苦にもせず、ゆっくりとした時を歩むのみです。
     

樹も草もしづかにて梅雨はじまりぬ  日野草城

草木も花を収めて雨に潤う時節です。梅雨はときには長雨となり、終日終夜降りつづくことがあります。自然の運行なのですが、人は自分の都合で、天気が良いとか悪いとか言います。天帝の気持ちはさておき、多くは自分に合わせて可否を論じます。
 日和下駄を商う長男の商売を案じて今日の雨を憂い、傘屋の次男の商売を心配して日照りを恨む老母のたとえもあります。
 悪い方に受け止めて暮らすより、雨も日照りもどちらかの恵みと考えて暮らす方が、楽天的ながら無難といえましょう。(中略)
 遮莫、蕭々軒の雨もやがては止むはずです。そしたら境内の草取りと己が雑念を払わなくてはなりません。(文:遠藤長悦老師)
  
     

辻堂に死せる人あり麦の秋   蕪 村

 ある村で「今朝、辻堂に行き倒れで死んでいた男がいたそうだ」と、普段は忙しく畑仕事をしている村人が、しばらく麦刈りする手を休めて、しきりにその話をしている。辻堂は、四つ辻や道ばたにある小さな仏堂のこと。「秋」は実りの秋を意味し、麦は初夏に熟するので「麦の秋」という。
 村人が誰かよそ者の死を話題にしている、その様子を観察して句にしたものでしょう。冷徹な表現だけに、却って死が人々にもたらす動揺が伝わってきます。二三日もすれば忘れ去られる事だとしても。
 人の死を話題にするとき、たとえ身近な人でなくても、私たちは同情や心の痛みを禁じ得ません。それは、心のどこかに小さな空隙ができたような感じを持つためではないでしょうか。また、死は決して他人事ではない、と知るからです。
  
     

仏生会をさなき顔はみな仏 山本輝明

 四月八日はお釈迦さまの誕生を祝う日で、灌仏会、仏生会、降誕会、花祭りなど、さまざまな名称で呼ばれています。
 今から二五〇〇年ほど前、お釈迦さまはインドの(今はネパール)ヒマラヤのふもと、カピラ城というお城近くのルンビニーの花園でお生まれになりました。
 生まれたばかりのお釈迦さまは、すぐに七歩歩かれ、右手で天をさし、左手で地をさして「天上天下唯我独尊」、この宇宙の中で唯だ我れ独り尊い、と声高らかに宣言されたといいます。
 しかしこれは何も仏様だけでなく、生まれたばかりの赤ちゃんは、「オギャー」という泣き声で「唯我独尊」を主張しているのではありませんか。そして幼い子たちは皆、仏さまの性質(仏性)を汚さずにいるから、かわいいのです。
  
     

うとうとと彼岸の法話ありがたや 河野静雲

 「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるように、彼岸のころは寒さもようやく峠を越して、一段と春めいてきます。
 お彼岸のときぐらいは、温かい春の日差しのなかで、仏法の話に耳をかたむけてみたいものです。
 うとうとと仏果を得たる彼岸婆  樋口玉蹊子
 彼岸会には信心深いお婆さんが欠かせませんが、お寺の法話を聞きながら、ウトウトして、そのまま彼岸へ行けたら、もう何もいうことはありません。
気がついたら、
 極楽へ一足飛びの彼岸かな  紫人 
となればいいのですが、その極楽浄土でまだ眠りから覚めぬことがないよう、気をつけてください。
 極楽の道捗どらぬ彼岸哉  圭虫
  
     

よきことはいつか来るもの雪割草 鈴木伊都子

 雪割草は、雪の間に白くかわいらしい花を咲かせるので、この名で知られていますが、三角草や州浜草の別名です。
 まだ雪の残っているところでも力強く芽を出し、春を告げる雪割草は、「好いことはきっといつか来るものですよ」と、言ってくれているかのようです。
 人生に苦しみや心配事はつきものですが、雪の間にもかわいらしい花をのぞかせる、山の草を見ていると、小さなものがもつ大きな力に感動します。その感動が励ましとなり、「よいことはいつか来る」という希望を生むのでしょう。
「そのよいことはいつ来るのかね」と、皮肉っぽく言う人もいるかもしれませんが、何ごとも信じるかどうかが大事で、そう信じた時、すでに好いことは半分以上来ているといってもいいのです。   
     

初あかりそのまま命あかりかな   能村登四郎

 初あかりは、元朝に東の空がほのぼのと明るくなるさまをいいますが、それがそのまま「命あかり」だというのです。「命あかり」とは何でしょう。あらゆる生命が宿している命のあかり(生命を生命たらしめている本源的なもの)をいうのでしょうか。
 繰り返すものはどうしていつまでも新しいのだろう/
  朝の光もあなたの微笑みも
   (谷川俊太郎「朝の光」)
 繰り返すものにあるいのちのあかり、それは朝のひかりのようにいつも新しいのです。
日をまともに見ているだけで
 うれしいと思っているときがある
   (八木重吉「太陽」)
 日の光りを見てうれしいと思うときが、きっと、いのちあかりに触れているときなのです。
  
     

書記典主故園に遊ぶ冬至哉 蕪 村

 書記と典主(殿主・殿司とも書く)は、どちらも禅宗の役僧の名です。故園は、禅僧が修行していた僧堂のこと。冬至の日、一山の禅僧たちが、かつて三十棒を喫した道場に集まり、そのころを懐かしみ、一日を悠々と過ごす、という句意。  禅の僧堂には修行僧を指導したり、禅院の運営を司る役僧がいて、書記は文書(書翰類)を司り、典主は仏殿の清掃・荘厳・香華・供物などを司る役です。
 門前の小家も遊ぶ冬至かな  凡兆
とあるように、冬至の日は一般に商いなどの仕事を休んだので、寺院でも衆僧に一日の暇を与えるのを習わしとしていました。
 冬至は二十四節気の一つで、新暦十二月二十二日ごろをいう。この日、ゆず湯に入ったり、地方によりカボチャを食べる習慣があります。 
  
     

稚子の寺なつかしむいてふかな 蕪 村

 銀杏の葉が、黄金のような美しい色に黄ばんで、お寺の境内いっぱいに散り敷くと、境内の広さと、しっとりと銀杏の敷かれた明るい色調にひかれて、村の子供達が遊びにやって来ます。 
 境内を遊び場にして、銀杏の実を落としたり、葉を拾ったりしてあそんでいる様子を見ると、子たちは自然に寺に親しみ、よくなついていることがわかる。それが「寺なつかしむ」の意味なのでしょう。 
 秋も深まり、晴れた日ざしに銀杏の黄が生えて、子供達がお寺に親しむさまに、ほかほかした潤いが感じられます。 
 この時期、寺の方は落ち葉を掃くのに毎日大変なわけですが……。 
  
     

見納めが母の口癖十三夜   田邊えりな

 旧暦九月十三夜は後の月見と呼ばれて、供物をそなえて名月の鑑賞が行われます。
十五夜と違って中国からの移入によるものでなく、日本で始まった風習といわれ、 延喜十九年(九一九)に、月見の宴が催されたことに始まると言い伝えられています。
 三宝に盛る供え物から、十五夜が芋名月と呼ばれるのに対して、十三夜は豆名月、栗名月などと呼ばれますが、団子や芋も供える所もあります。
 昔から十五夜と十三夜は同じ家で見るべきものとされ、別の所で見るのを片月見といって喜ばれません。新暦では十月半ばになり、夜ともなれば肌寒く、月の光りもより冴えて感じられます。
 十五夜より、いよいよ澄み、冷ややかな感じを与える十三夜は、今生の見納めという気持ちをより強くさせるのでしょう。
  
     

うき草や今朝はあちらの岸に咲く  乙 由

 昨日はこっちの岸辺で咲いていた浮草であったが、今朝見るとあちらの岸で咲いている。
あちこちに漂う浮草は、人の世の有為転変のさま、人の心の頼りなさにたとえられ、「浮草稼業」などあまりいい意味には使われません。
 良寛の詩にも、「人生一百年、泛たること水上の蘋のごとし、波に随って空しく東西し、浪を逐うて休む辰無し」
「蘋」は浮草のことで、人生の儚さ、定めなきすがたに喩えられます。
 なお仏教では、あちらの岸は、彼の岸=彼岸で、生死の迷いを越えた浄土の世界を意味します。
 この岸べではふわふわと漂う浮草も、彼岸に流れついて咲くことができる、と考えれば、この句はいい意味に受け取ることができます。   
     

僧来ませり水飯なりと参らせん 正岡子規

 水飯は、暑い夏に食欲が落ちるので、冷水をかけて食べること。また洗い飯ともいい、飯が饐えないように洗って食べることをいいます。
 水飯についてこんな昔話(今昔物語)があります。昔、三条中納言朝成という公卿が、あまりに肥って困ったので、医者に相談した。
 医者は、「それは栄養を取りすぎるためですから、できるだけあっさりしたものを食べるようにしたらいいでしょう。殊に夏時は、水漬けの御飯がよいのです」と助言した。
 朝成は、「それではその水飯を食うてみよう」と言って用意させた。しかし、おかずに鮎の酢漬け三十匹、干瓜が十本、それに山盛りの御飯に水をかけ、おかずを食べながら、三口でどんぶりを平らげては、またお代わり、またお代わりと、何杯食べることか、これでは痩せるわけがない。   
     

虫干しの寺に花咲く蘇鉄かな 吉田冬葉

 虫干しは夏の土用の晴れた日に、衣類や書物を陰干しして、黴や虫の害を防ぐことをいいますが、寺院でも経典の虫干しを年中行事として行います。
 次は一休禅師の虫干しの逸話。
 ある夏のこと、禅師が比叡山に登った時、折しも一切経の虫干しの最中で、この経文を吹く風に当たるのはご利益があるというので、多くの信者が参詣にやって来た。
 その様子を見た禅師は、「では、わしも虫干ししようか」と言って、経蔵の傍の木蔭で、裸になって横になった。それを見た比叡山の役僧、「こんな所に裸で寝られては、参詣に来た人達の信仰心に水を掛けるようなもの。止めてくだされ」と咎めると、禅師は、「紙に書いたお経と、話もすれば法も説くワシというお経と、どっちが有り難いのだ」と一喝。役僧は返す言葉がなかった、と。   
     

富士詣一度せしといふ事が安堵かな 高浜虚子

「富士詣」は旧暦六月一日から二十一日までに富士山に登り、山頂の富士山本宮浅間大社に参詣すること。作者は、この句の意について、こう書いています。
「これは信心のためというのではありません。ただ人のよくする富士詣ということを自分も十余年前に一度したことがあるということが、ひとつの安心であるというのであります。もし一度も登っていないと、人から富士詣の話を聞くたびにきっと厭迫を感じるに相違ありません。ひとり富士詣に限らず、たいがいのことは一度やってみると案外なものでありますが、一度もやらない間はなんだかそのことが大層なことのように考えられて、不安で、いつもその話が出るたびに一種の厭迫を感じるものであります」(「俳句の作りよう」)
 日本には四季折々に、また季節を限らず、全国にたくさんの寺社詣でがあります。
 御忌詣、御岳詣、六阿弥陀詣、千日詣、産土詣、吉野詣、大山詣、石山詣、鞍馬詣、熊野詣、閻魔詣、賀茂詣、摩耶詣、稲荷詣、七福神詣、厄神詣、十三詣、百度詣、七日詣、宮詣、千社詣、などなど。
 それらのなかには、生涯に一度だけでもしておくことが「安堵」になるものもあるでしょうし、何度でもする方が「安堵」になるものもあるでしょう。いずれにしても寺社詣は、機会があればしておくことが安心の種になるのです。


     

陽炎や寺へ行かれし杖の穴 一 茶

 よい時候を迎え、野辺に幽かに陽炎も立っている。前の日雨が降ったのか、少し湿った道にポツリポツリと杖の跡がついているのが見えた。気まぐれに杖の跡はどこへ続いているのかと、たどってみると、寺の方へ向っている。
「ははあ、だれか寺詣りに行かれたな」と推測し、面白がっている様子が伺えます。
 杖の跡だけで誰かがお寺に行ったとわかる、というところに、静かでのどかな春の雰囲気が表現されています。 
 春風や杖の力をおぼえたる田中蛇湖 
 老人にとって杖は、それこそ「転ばぬ先の」で、ぬかるみの道にも、風の強い日にも欠かせぬ友となります。


     

如意輪や鼾もかゝず春日影 其 角

 如意輪観音像には他の観音さまと大きく違う特徴があります。それは、片膝を立てて座り、六臂の手のひとつが頬杖をついている像が多いことです。
 この句は、如意輪観音が春の暖かい日差しの中で座っている姿は、まるで寝息を立てて眠っているように見えるくらいだ、というもの。
 もちろんこのポーズは、決してうたた寝などしているのではなく、六道の世界を迷う衆生をどうやって救済しようかと、常に思惟しておられる姿を表しているのです。
 西洋の彫刻でいえば、ロダンの「考える人」に少し似ています。しかしそれは人が何かを考えている時の、特徴的な姿勢をあらわしているだけで、如意輪観音像の、人間的な表情を超越した観想と静寂を感じることはできません。


     

花冷に阿修羅の三面眉根寄す 横山房子

 桜の咲くころでも急に冷え込んだりする日がありますが、それを花冷えといいます。その時期に奈良・興福寺の三面六臂の阿修羅像(国宝)を見ての感想を述べたものです。
 阿修羅は、インド神話では軍神で忿怒の相が多いわけですが、興福寺の阿修羅像には怒りの表情がありません。作家の堀辰雄はこの像を見た印象を、
「六本の腕を一ぱいに拡げながら、何処か遥かなところを、何かをこらえているような表情で、一心になって見入っている阿修羅王の前に立ち止まっていた。なんというういういしい、しかも切ない目ざしだろう」(「大和路・信濃路」)と書いています。
 確かに阿修羅の少し眉根を寄せた顔は、「何かをこらえているような、切ないまなざし」として、見る人を立ち止まらせるものがあります。

     

そのあとは子供の声や鬼やらひ 一 茶

 立春の前日は、冬の季節から春の季節への変わり目ということで節分と言いますが、その節分の日に、除災招福をする行事が節分会で、もと中国から伝わったものです。
 この日、煎った大豆を撒いて鬼を追い出し、厄払いをしますが、昔は「追儺」「鬼やらい」といい、毎年の大晦日に行われる宮中の年中行事でした。
 この豆撒きが後に民間に伝わり、各家ではその家の主人が年男となり、「福は内、鬼は外」と唱えながら豆を撒いてゆきます。すると、その後をうけて、また「ふくはーうちー、おにはーそとー」と、にぎやかに連呼するのが子供たち。
 子供たちの声のおかげで、夜の静かな中にも華やいだ気分が家中に満ち、鬼はこんな賑やかな家にいるのはうるさくてかなわんと出てしまいます。

     

目出度さもちう位なりおらが春  一 茶

『おらが春』の巻頭にある句で、前文に、
「浮き世の塵にうずもれて世を渡るのに汲々としている私らであるが、正月だからといって、めでたい文句を並べ立てるのも空々しく、空っ風が吹けば飛ぶようなわが家であるから、門松も立てず、煤払いもせず、今年の春もあなた任せに(仏の御心にまかせて)迎えるだけだ」とあり、めでたいといっても、それほどのこともない正月だ、という心境を述べたものです。「ちう(中)位」は、上中下の中くらいというよりも、細々とした暮らしに安んじる気持ちを表したものでしょう。
 またこの句をもじって正岡子規は、病臥の日々を送っている自身の正月を、
 めでたさも一茶位や雑煮餅
と詠んでいます。